物が溢れた暮らし、便利な暮らしが本当に豊かなのか?

先日、長男の通う筒瀬小学校に行った時このような張り紙を目にしました。

水道は自動で止まりません。自分で止めましょう。

という注意書き。

最近、勝手に止まる物が多いもんなぁ。

 

こんな張り紙が貼られるって事は出しっ放し!なんて事があったんでしょうね。

 

覗いてないけど、もしかしたら大便器の所にも「自動で流れません!必ず自分で流しましょう!」なんて張り紙があったかも…

 

我が家では蛇口も自分でひねるし、用を足した後は自分で流さんといけんけど、照明がセンサーライトなのでお客さんの家のトイレをお借りすると消し忘れとる事が何回かあった。

 

センサーライトにした事を反省しとります。

 

今、旅館やホテルでは「トイレを流していない!」とか「電気を付けっぱなし」なんてことが問題になっているらしいです。

 

そういう環境で育ったらそうなるのは当たり前ですよね。

 

そもそも用を足した後流すって行為は、次に使う人の為に流すんですよね?じゃなかったら何回かに1回流せば良いはず。臭いけど(笑)

 

 

我が家では洗面とトイレは手洗いボウルが陶器で、普通の洗面化粧台と比べると水が飛び散りやすいです。その都度拭いて出ますが、これも次に使う人の為。

物にあふれた便利な暮らしをすると、人を想う心が薄れていく気がします。

 

人の事を考える事が無くなっていく。

 

物質的な豊かさが豊かなんじゃない。

 

本当の豊かさって人を思いやれる心の事だと僕は思う。

 

だからうちではお客さんに高機能な設備機器は選んでもらわないようにしています。その分素材に予算をまわしたら良い。

 

蛇口ぐらい自分でひねればいい。トイレを流すレバーくらい自分でやればいい。電気も自分でつければいい(僕も反省)

 

去年行った淡路島の遺跡(弥生時代)ではご覧の通り何もありません(笑)雨風しのげるだけ。

物に頼らず心豊かな暮らしをしましょう。

 

おしまい♪